8月15日・軍歌

 私がインドネシアジョクジャカルタに滞在していることは前までの記事でも書きました。ジョクジャカルタでは、一家で営んでいるゲストハウスのようなところの一室で、月単位でお金を払って滞在しています。ここのオーナーの一家はとにかく子沢山。夫婦には八人の子どもがいて、さらにお祖父さんお祖母さんも一緒に暮らしています。普段から人の気配が絶えることのない家で、顔を合わせるとみんな話しかけてくれます。そんな一家の大黒柱のお父さんが、昨日誕生日でした。偶然、ほかの滞在客がいない夜だったのもあって、家族の好意に甘えて私もその誕生日パーティーにちょっとだけ参加させてもらいました。私はインドネシア語がカタコトですし、向こうは英語がカタコト。必然的にカタコト同士の言語ちゃんぽんな会話になります。そういう場でだいたいコミュニケーションのツールになるのが歌や楽器などの音楽だったりします。経験的にそういうことを知っていたのか、そのまなざしに知的な印象を強く受けるお祖父さんが、自分の知っている日本の歌をふたつ歌ってくれました。ひとつめはやっぱり「sukiyaki」。坂本九の「上を向いて歩こう」です。悲しい歌だったのは知らなかったようですが、やっぱりインドネシアでも有名なようです。そして、ふたつめに歌ってくれた曲は、私自身が詳しくないので歌詞はうまく聞き取れなかったのですが、どうも日本の軍歌のような感じ。お祖父さんは、さらにそのお父さんから教わったんだと言っていました。オーナーの夫婦は「私たちのお祖父さんは兵隊だったんだ」とも。では、なぜインドネシアの兵隊が日本の軍歌を歌えたのか、そしてお祖父さんが知っているたったふたつの日本の歌のうちの一方がそれだったのか。

 明日、8月15日は日本ではいわゆる「終戦記念日」です。ちなみにインドネシア独立記念日はその翌々日の8月17日。日本ではテレビなどでアジア・太平洋戦争についての特集が組まれるなど、「記憶」がクローズアップされる日です。ただ、私は今夏、インドネシアにいるわけです。初めて海外で迎える8月15日。しかも「独立」を果たしたインドネシアです。

 日本でインドネシアに関する情報に接するとき、「インドネシアは"親日"だ」とか「インドネシアの独立を日本軍が手助けした」などというようなことがまことしやかに語られていることがありますが、1942年から1945年についてそういった言説を信じるのはかなり一方的で都合がよく、しかも危険なことです。例えば、日本の広島・長崎に原子力爆弾が投下されたことが影響して戦後の日本では核廃絶の運動が盛り上がりましたが、それを「アメリカのおかげで」などと言ったらどう感じるでしょう? もちろん個人として核廃絶の運動に共感し尽力したアメリカ国籍の人物もいたでしょう。しかしそのことと「アメリカのおかげ」なるぞんざいな表現を一緒にされても反応に困るだけです。そしてもっと一般的に言っても、単なる影響や事実同士の因果関係を「意図」で短絡させようとするのは非常に危険なことで、慎重にならなければなりません。このような短絡は陰謀論などでよく見られます。

 「お祖父さんが軍歌を知っていること」と「日本軍への愛着」を短絡させるのも同じように慎重であるべきでしょう。ただでさえ日本政府はそういったアジアの人々の苦難の歴史や気持ちに鈍感な姿をことあるごとにさらしてきました。この8月15日から8月17日の3日間は最大限にインドネシアにおけるそのテクスチャー、肌感を感じとるべくできるだけ敏感にさまざまな人たちを見つめたいと思います。